従来の土偶研究の問題点と今後の展望


サントリー学芸賞受賞のことばよりhttps://www.suntory.co.jp/sfnd/prize_ssah/essay/2021_06.html

“まつろわぬ学徒”として在野で思惟を重ねてきた私の頭上に、不意に載せられた月桂冠のような栄えあるこの受賞に際して、由縁あるすべての方々にお礼を申し上げたい。
 『土偶を読む』は、その名の通り縄文時代に製作された土偶を神話的な造形言語とみなし、その解読に挑んだ書物である。「土偶=考古学」という常識を覆し、人類学を軸としたリベラルアーツを駆使して「土偶は縄文人が資源利用していた植物や貝類をかたどった精霊像である」という、まったく新しい土偶の姿を描出した。
 土偶を理解する最良の方法はその研究史/表象史を辿ることである。明治期に土偶研究を担っていた人類学は、学問の近代化にともない形質人類学、民族学、考古学、民俗学、宗教学などに専門分化していき、その過程で土偶も考古学者の手へと移譲された。さらに昭和期に至ると、土偶は行政権力によって専有される「文化財」へと変貌する。古代には女性たちが製作・使用していたであろう生業の道具=土偶は、こうして現代の男性研究者・行政官たちの手に渡り、今度は彼らのフェティシズムとロマンティシズムが投影される「男性の道具」と化した。前者は土偶の型式や紋様をひたすら細別し、それを土偶研究の本流と自認する「インデックス派」を生み出した。後者は土偶をことさら神秘化し、宗教学や精神分析の理論から土偶の形象を深読みする「シンボル派」を生み出した。
 こうして土偶研究は二極化し、かつて人類学では主流であった土偶の「かたち」から意味を読み取ろうとするイコノロジーの方法論は、昭和期以降の考古学では周縁へと追いやられた。その結果「土偶にはかたち(=様式)ごとに異なるモチーフがあるかもしれない」という、むしろ最初に推認されるべきシナリオも忘却されてしまった。この趨向は歴史教科書や文化財行政を通して社会にも波及し、「様式ごとに土偶のかたちの意味を分析してみる」「当時の生業と土偶のかたちを結びつけて考えてみる」といった基礎的な認知行動すらも、全国民的レベルで抑圧されるに至ったのである。
 『土偶を読む』において遂行されたのは、男性による知的資源の寡占によって形成されたこの集団的な認知バイアスを解体し、イコノロジーを用いた学際的な手法によって土偶という古代遺物を、そしてわれわれ自身の野生の感覚を奪還することであった。
 縄文人は度重なる地球規模での激甚な環境変動を生き抜き、この美しい国土を舞台に一万年以上にわたって生命をつないできた偉大なる先達である。人類史的にも価値の高い縄文の遺産は、これから“Jōmon”の名のもとにわれわれが責任を持って世界に発信していくコンテンツでもある。このたび顕彰された私の仕事が、その一助となることを願ってやまない。